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その他・語り

京都アニメーション放火事件 被害者の実名公表について思うこと 京アニ放火事件

こんばんは、今回はちょっと旅の記事ではありません。気になるニュースがあったので、そちらについてちょっと記事を書いていこうかと思います。


7月18日に発生し、35人が亡くなった京都アニメーション放火事件。事件発生から、もう1ヶ月以上も経つのかと時間の流れの速さにビックリします。事件当日にニュースを見ていたら、京都のアニメーション制作会社が放火で火事になっていると速報を見ました。「京都?アニメーション制作会社?もしかして...?」と状況が詳細に分かるようになってくると、京都アニメーション(以下京アニと略します。)だったことが分かります。

僕もいくつか作品を見ており、キャラクターを可愛く描く制作会社さんで、作ってくれる作品を楽しみにしていることもありました。京アニは期待のできる制作会社だなあと思っていました。

まさかの出来事に本当か?これはフェイクニュースとかじゃなくて?もしかして、夢?かと思いましたが、残念ながら現実でした。時間が過ぎるにつれ、被害者の人数も増えていき、亡くなった方が結果として35人にものぼる方が亡くなられてしまいました。

8月2日に同意の取れた被害者の方の名前が公開されました。僕もNHKのテレビ放送でその内容は見ました。

ですが、亡くなった方の名前を公表してほしくないという遺族の方がみえて、それに際して会社側からの要請でも「被害者や遺族のプライバシーが侵害される可能性がある」として名前の公表を控えて欲しいとしていました。ネット上では、実名公表を控えるように願い出た署名活動も行われていました。ですが、その願い虚しく、願いが聞き入れられることはなく実名が公表されてしまいました。

なぜ、こうまで反対意見が出ながらも公表に踏み切ったのか、「大変凄惨(せいさん)な事件で、(中略)社会的な関心が高く、事件の重大性や公益性などからも情報提供をすることがよいと判断した」とのことです。最初の「社会的な関心」や「事件の重大性」、これらには納得します。少なからず、関心を持っている方がたくさんいることでしょう。有名な会社で起こった事件ですし、僕のようなオタクからすると、事件の顛末や真相、その後は気になる部分です。事件の重大性というのも35人もの人の命が奪われてしまった凄惨な事件であること、大きな会社に降りかかった事件ということで重大性も納得がいきます。ですが、最後の「公益性」この一言が僕には引っかかります。被害者の氏名、実名を出すことにどこに「公益性」があるのでしょうか?僕には分かりません。京都府警の考えとしては、間違った被害者の氏名が流れ、その方達にも無用な被害が及ぶため、という配慮もあるようですが、果たして、それは実際に被害にあった被害者たちの公表されたことによる影響、心労を考えることの方がよほど深刻な問題につながると思います。

亡くなった遺族の方は大切な人たちを、失った悲しみ、無力感、喪失感など言葉では形容できないような思いに苛まれている状況にあると思います。そうした人達が公表をしてほしくない、という旨を出しているのに、それらしい謳い文句をつけて公表に踏み出す。被害者の遺族の方の思いを軽んじ、ないがしろにしているようにしか思えません。

この事件の以前から、事件に対するマスコミの報道体制には、疑問を抱くところが多くありました。被害者の生前の時の生活を事細かに報道する態勢。これって本当に必要なのでしょうか?事件の起こった経緯や原因などを細かに報道するのはまだ良いと思います。のちの類似事件を起こさないように、対策を国民が取るためにもその情報は知っておいて損はない部分だと思います、そういう意味では事件の経緯・起こった原因などを報道することは「公益性」があると思います。(しかし、あまりにも詳細に報道しすぎても対策ではなく、模倣犯罪が起こってしまう可能性もあると思うので、一概に良いとは言えないとも思いますが。)しかし、被害者のことを事細かに報道する必要がどこにあるでしょうか?最低限、名前さえ報道されれば、身近な人は分かるでしょう。それで充分ではないでしょうか?それ以上に、素性を掘り下げようものなら、それを聞かれる被害者の遺族、親族の方の傷も掘り下げることにつながるのではないでしょうか?被害にあったこと、傷ついたこと、亡くなってしまったこと、もう前には戻らないことをいくら言っていても次にはつながりません。センセーショナルな話題だからと言って、取りたてている姿勢に僕は憤りを感じます。話題性云々「公益性」云々より、人を大事にするべきだろうと僕は思います。

もし、それでも「公益性」を謳うのであれば、報道をするなら僕は被害者のことより、加害者のことをより詳しく知りたいと思います。どうして、こういうことをしようと思ったのか、何がその人を犯罪へと走らせてしまったのか、身体的・心理的・環境的要因はどんなものがあったのか、そこを解明していく方がより重要だと思うのです。そして、そんな人を生み出してしまわないように社会環境を変えていくのであったり、周りの人がサポートをしていけるようにする。それこそが次につながることではないでしょうか?(なかなか難しいことだとは思いますが。) それこそが全体への「公益性」に繋がると思います。

現状は、実名が報道されてすぐなので他の内容はあまり上がっていませんが、これ以上被害者、被害者遺族に対して必要以上のプライバシーを掘り下げることがないことを祈っています。そこに「公益性」は存在しないと思うので。いつまでも、他人の不幸をセンセーショナルに取り上げることをジャーナリズムとしないで欲しいです。真に必要なのはそんなところではないと思います。

今回の被害者の氏名を出さないという事態は異例とのことですが、公表を望まない場合には匿名でも良いのではないでしょうか。逆に今までの態勢がおかしかったのではないでしょうか?再考する機会になり得てくれるとなお良いのではないかと思います。


ということで、今回は異色中の異色の記事でした。ちょっと腑に落ちない部分が多かったので、僕の発信なんて小さなものかもしれませんが、してみようかと思って書きました。個人的な一意見なので反対意見などもあるかと思いますが、僕はこう思います。

今回はこんな感じで、それではまた次回まで!

参考・引用させていただきました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190827/k10012050701000.html

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