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海外事情

大雑把?それとも繊細? 海外と日本の比較など

こんばんは、そういえば一昨日の閲覧回数がすごいことになっていたので、驚いた話を書こうと思って忘れていました。

ありがたいことに周りの人に広めてくれている方もいるみたいで、この日はちょうどそれが重なったのか、僕が朝起きた段階から「今日の閲覧数が多いです!」とアプリからの通知が入っていたので、寝ぼけ眼のまま「え、そんなバカなー」と思って見ると、日本では14時頃の時点で約50件の表示回数で、「あれ!平日なのに、これまで1番多かった閲覧数(日曜日)並みにある!」と驚いていました。最終的な表示回数が上の画像になります。誠にありがとうございます。その日はその後も表示回数が増えてくれたので、すごく嬉しかったです。特に表示回数をこれだけ出すという目標は設定してはいなかったのですが、やはり見てくれる方が多いとそれだけ励みになりますね。もし、良ければこのまま継続して、見にきていただけると嬉しいです。拙い文章ですが、海外の魅力を少しでもお伝えできるように頑張っていくのでよろしくお願いします!


と、昨日に引き続き画像を充分にあげれない状態なので、ちょっと今回は海外に来てから考えたことについてちょっと書いていこうかと思います。

美術館や図書館など、芸術品を数々見てきて思うのが驚くほど精巧なその作りの美しさです。僕は多分、作られている芸術品の精細さや技術力の高さなどに魅力を感じ感動を覚えているのだと思います。僕は幾何学的な模様であったり、数学的に整っている造形に美しさを感じます。なので、シンメトリーであったり規則的な配置を好む傾向にあると思います。それがヨーロッパでの芸術の表現のされ方には強く現れているように僕は感じます。そのため、魅力的に思えるものも数多くあります。そういった幾何学・規則性のある模様や図柄を好むため、芸術作品にも多く取り入れられているというのは、ヨーロッパの方も繊細な人が多いのではないか?と思います。


しかし、こちらの旅に来て、出逢う人達は良い意味でおおらか、大雑把笑 細かい事は気にしない方が多く、また言語の伝わり方が不充分でも何とかコミュニケーションを取ろうとしてくれる方が多く、温かさを感じます。性格・性分的には繊細という感覚には程遠い人が多いように思えます。


以上の点から、僕が思うのは芸術作品を生み出して来た過去の芸術家たちは、こちらの一般的な方々とは少し違う感覚を持ち合わせており、細かく性格な作業を好む少し変わった特性を持っていたのかなあと思います。もしくは、逆に幾何学や規則的な表現というのは、その法則が分かってしまったらあとは反復的な作業になるので、パターン化できるかと思います。だから、ひたすら同じ作業を繰り返していれば終わる、という逆にズボラ?の現れなのかなあなどとも考えてしまいます。笑


街並みを見ても、日本ではそうそう見ることのできない規則的な建物の配置になっているように僕には感じます。見ている角度的な問題なのかは分かりませんが、どの通りもとても統率の取れた並びになっているように感じて、僕は謎の気持ち良さを感じてしまいます。また、ずっと見ていると奥に行くほど、狭く見える通りもあり、閉塞感を感じて不安になることも。笑(上記の写真の通りは、オーストリア、ウィーンのミヒャエル広場なのですが、どの方向を向いてもこんなような見た目をしています。初めて降り立った時は、「ドクターストレンジ」の映画の世界みたいな場所に来てしまったな!とテンションが上がったものです。笑)

このような街の作りには、自然環境も大きく関わって来ているのだろうなと思いました。日本のように台風、地震、津波といった天災が様々に起こる地域にはその自然に合わせた建物の配置などが行われると思います。しかし、こちらでは大きな天災が起こることが少なく建物や芸術品も残りやすいということで、その国の伝統的な美しさを兼ね備えつつ近代的な進歩を見せれる側面があるのだろうと思います。

日本の伝統的な建物であったり家屋は、日本固有の天災で姿を消していき、より効率よくスピーディに再建できる技術を採用されていったのかもしれません。日本の西洋化は天候や災害に適応していくための効率的な方法だったため仕方ないのではないかと思います。(そういった意味では、日本は新たな技術や考えに対応し、またそれを応用する柔軟性の高さがあるのではないかと僕は感じました。)

また、芸術作品の中での日本との違いも、この自然環境に大きく起因するのだと思います。海外では、自然災害が少なく被害が少ないだから芸術作品や生活が自然によって脅かされることはほとんどない。そのため、幾何学的・規則的な装飾はその美しさを損なわれることなくあり続ける。変化するものといえば、老いを迎える人であったり、潮流がある時代、政権などが多く考えられていたのではないでしょうか。

それに対し、日本はある日突然襲われる自然災害に、一瞬にしてそれまでの積み上げて来たものがなくなってしまう経験を数多くしてきました。そのため、自然には抗えないこと、また恐れや畏敬の念を持ち、恐れや畏敬の中にも美しさを見出し、自然のあるがままの不規則性を芸術に取り入れて来たことは、日本という独特の国土と自然環境ゆえの現象なのかなあというのをこちらに来て、体感をもって感じました。


僕は美術や歴史の専門家ではないので、明確な答えは僕には分かりませんが、こちらに来て芸術作品やそれに準ずる宮殿や図書館などを見てきて、考えたのはこんなことですね。笑 難しい言葉も使いながら、それっぽいこと書いてますが、ほとんどは僕の勝手な推測です。笑 それでも、国や文化の違いを身を以て体験したからこそできる考えだと思うので僕はとても面白いです。

また、少しずつでもこちらに来て考えたことや感じたことを綴っていこうとは思うのですが、個人的には旅を全て終えてから書きたいと思っています。自分としては、全てを見た上で、総括的にこの旅を捉えてまとめたいなあと思っています。ですが、画像を充分に上げれないと見ている皆さんもその場所を紹介していても面白くないと思うので、環境が整ったらそちらを優先し、整わない状況なら文章のみでも話が成立する内容を上げていこうと思っています。ので、、、写真少なくても見に来てやってください。笑 よろしくお願いします。m(_ _ )m

それでは、ほぼ文字だけの長文失礼致しました。また、次回に!

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